『盲目の老婆と二人の女』

女性 魅惑

 

古い時が流れるある所に、

人ではないものの声が聞こえ

例えようのないものが見える女がいた。

 

その女は、それが何なのか理解できなかった。

自分は、おかしくなったんだと思い

夫や、かわいい子どもたち、

そして、周りに気づかれぬよう息を殺すように

ひっそりと暮らしていた。

 

ある時、盲目の老婆が道端でゴザを敷き

碗を置いてじっと座っているのを見つけた女は

そっと、音がしないように

碗にわずかな小金を入れた。

 

盲目の老婆は見えているかのように

黙したまま頭を下げ礼をした。

 

その道を通るたびに、老婆を見かけるようになり

いつしか二人は、お互いの話しをするようになった。

 

ある日、唐突に老婆は女に言った

「お主は、不思議な力を持っておるな」。

 

女は、驚いた。

自分が見えるもの、聞こえるもののことを

ただの一度も、

老婆に話したことはなかったからだ。

 

鳥肌が立つような怖さを覚えながら、

言葉を失い凍りついたように硬直する女に老婆は

「隠しても無駄じゃ。ワシは目が見えぬ。

が、その代わりに

その者がもつ能力を感じることができる」と

じゃがれた声で静かにゆっくりと語った。

 

固唾を吞みながら女は老婆に問うた。

「私に、どうしろと言うのです」

 

すると、老婆は

「何が大切なのか自分がよく知っているであろう。

お主が信じるものに従い、行動すれば良い

ただ、それだけじゃ。

そうすれば、お主の願いは叶うじゃろ」

 

その日以来、老婆はどこかへ行ったかのように

パタリと姿を見せなくなった。

 

女は、悩みに悩んだ末

「私は、神の声が聞こえ、

人には見えないものが見えるのです」と

家族に、ことの一部始終を伝えた。

 

すると、親と夫は

それは、きっと何かお役目があるに違いないと

女の行動を許した。

 

その日から女は、かわいい子どもを残し

神の声の言う通り、色んな場所へ出かけ

例えようのないものが見える場所で、

様々なことを行なった。

 

何日も家を空け、何年もそれを続けながら

なぜ、私がこんなことをしなくてはいけないのか

なぜ、愛しい我が子の側にいられないのか

なぜ、家族と離れて暮らさなければ行けないのか

と、自責の念に襲われた。

 

こんなこと、したくはなかった。

なぜ、神は私を選んだのか。

 

女の「なぜ」の問いかけは

旅を続ける間中、ずっと続き

その答えがでることはなかった。

 

ただただ、悲しく、寂しく、虚しく

口惜しいばかりの日々。

この道を選んだ日から

女の心が晴れることは一度もなかった。

 

女は、旅をしながら自分の中の

空虚感を埋めるように

複数の男たちと契りを交わした。

 

家族への後ろめたさを抱きながら

それでも、枯れてしまいそうになる

自分の泉を満たすため、

旅を続けるために、

好みの男を見つけては肌を合わせ

何度も逢瀬を重ねた。

女は、その男たちの魂の力を借りたのだ。

 

ある朝、湖のそばで目が覚めた女は

朝焼けの美しい風景を目にした。

湖 鏡

 

初夏の静かな早朝、小鳥がピピッピピッと鳴き

小さな虫が、ジー、ジーと羽音をたてた。

風のない日の湖は、

鏡のように山や空を映し出し

嘘をつけない程の清らかさが

辺り一面に立ち込めていた。

 

そして、いつものように

「なぜ」と問いかけた。

 

女が目をやると、湖岸から随分離れた湖面に

ふんわり浮かぶ柔らかな光を見つけた。

どこかで感じたことのある懐かしい感覚だった。

 

その光の中から声が聞こえた。

 

「お主は、何を信じ

何を信じなかったのか。

『なぜ』の答えはそこにある」と。

 

すると女は

「私は、神を信じ、神の声に従い、行動してきました。

おかげで、私は大切な家族と

離れて暮らすことになったのです。

こんな力さえなければ、子たちと幸せに暮らせたのに。

なぜ、こんな辛い思いをしなくてはいけないのですか」

と、切実に訴えた。

 

忘れたか、あの時

「何が大切なのか自分がよく知っている。

お主が信じるものに従い、行動すれば良い。

そうすれば、願いは叶う」

と言ったことを。

 

「はい、だから神を信じ、神の言う通りにしてきました。

でも、私の願いは未だ叶ってはいない。

私の何がいけないのでしょう」と

女は涙ながらに答えた。

 

ほんのわずかな間、光は強くなったが

女の問いに応えることなく

その光は静かに消えていった。

 

女は、しばらく魂が抜けたように

湖岸に呆然と立ち尽くした。

 

陽が昇り、あたりが明るくなり始めた頃

視線を遠くに移すと、小さな祠が目に留まった。

鳥井 祠

 

ポツポツと気の抜けた足取りで

吸い込まれるように祠に近づいて行くと

ああ、これは、この感覚は

あの時の「老婆」の空気感と同じだ。

 

女は思った

あの老婆は、この祠の主だったのか、と。

 

ふっと見ると若い女が祠の前にしゃがみ込み

手を合わせているのに気がついた。

 

しばらくして、若い女が立ち上がり

女の存在に気づくと軽く会釈した。

 

女は、「何を祈っていたのですか」と聞くと

若い女は少し戸惑いながら

「願いを叶えてもらったお礼にまいりました」

「お礼に・・・」

「はい」

 

私は、神の言う通りにやってきたのに

未だ、その願いは叶わずにいる。

この若い女と私の何が違うのかと気になり

どんな願いだったのかと尋ねた。

 

若い女は、少しためらったが

吹っ切れたかのように

自分が持っていた秘めた能力のことを話し始めた。

 

私は、幼い頃からなぜだか

みんなに見えないものが見え

みんなに聞こえないものが聞こえていました。

 

何ということか、能力が出始めた頃は違うものの

この若い女も私と同じではないか。

 

「それで、あなたも神の声を皆に伝え

神の言う通りに行動されたんですね」と

やっと分かり合える仲間を見つけたと

かすかな歓喜を抱きながら

詰め寄るように女が言うと

「いいえ、私は大切な人を守るため

その力を神様にお返ししたのです」と

若い女は答えた。

 

若い女の思いもしない答えに女は

何が起こったのか理解できずに

しばらく動けずにいた。

 

そんな女のことは気にもかけず

若い女は話を続けた。

 

ある時、夢枕に神様が出てきて

「何が大切なのか自分がよく知っているであろう。

お主が信じるものに従い、行動すれば願いは叶う」と

おっしゃられました。

 

それは、あの老婆の言葉ではないか。

 

女は、若い女に気づかれぬよう

全身の震えを必死に抑えながら

「せっかく授かった力を神に返すなんて!

そんな、神の意に反することをして、

神の怒りに触れたらどうするんです」と

怒りにも似た気持ちで尋ねた。

 

すると若い女は微笑みながら言った。

「私の信じる神様はそのようなことはしません。

どんな人にも、どのようなことも、皆

平等に与え、同じように扱い、赦し

いかなる時も慈愛に満ちています」と。

 

だから、私は私の大切な

子どもと夫、両親とともに暮らすことを選び

私の中の神様を信じ、

この力を失くして欲しいと神様に願いました。

それが叶ったので、今日こうして

お礼参りにまいったのです。

 

そこまで話した頃、林の小道から

小さな男の子が駆けて来て

「かーちゃん、とーちゃんが呼んでるよ」と

若い女の足に絡みついた。

 

若い女は、軽く頭を下げると

その小さな手を引き、母子で歌いながら

我が家へ帰っていった。

 

 

風のない、静かな初夏の朝。

鳥たちが空に羽を広げ飛び立つ羽音が

湖面を揺らしていた。

 

 

私は、何を信じ、何を信じなかったのか。

 

 

女は、うなだれた。

うなだれる女性

 

神が私を選んだのではなく

私がそれを望み、それが叶えられていたのだ。

 

自分を苦しめていたのは、神の声ではなく

それは、自分自身の意思だった、と。

 

したくない、と言う自分の内なる声(神)を

信じず無視し、絶対的な存在として

どこからともなく聞こえてくる

神の声を信じ、大切な家族よりも

神の要望を叶えるためだけに動き続けた。

私が本当に叶えたかったのは、

神の要望ではなく

家族への想いだったのに・・・。

 

でもなぜ、あの若い女は

いとも簡単に秘めた力を手放せたのか。

 

そうか、私は・・・。

 

好奇の目に晒されることもあったが

この力のおかげで、みんなが私を特別扱いし

尊敬の眼差しで私の周りに集まり

私の話に耳を傾けた。

私は、それを手放すのが惜しかったのだ。

 

 

そして、女は悟る。

 

 

幾多の男たちと逢瀬を楽しみ

夫や子どもたちを裏切り続けた背徳の私に

もう帰る家はない、と。

 

 

 

 

それでも

 

どんな人に対しても、平等に目をかけ

求めるものを与える慈悲深い神様は、

そんな女を温かく包み込み、見守り、

気づきを施し続け見放すことはないのだ。

 

 

 

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